2014年9月6日土曜日

 「板碑(いたび)」と呼ばれる石の塔をご存知ですか。これは亡くなった方を供養したり、
また生きているうちに自分や家族の死後の安楽を願うなど色々な理由で設置されています。

 当美術館から南西方向へ約1.5km行った所にある輪島市中段(ちゅうだ)町。その山裾を鳳至川に沿って進んで行くと、こんもりと木々が生い茂る森が見えてきます。この森の中に、1939(昭和14)年 石川県指定遺跡となった「中段の板碑」があります。
 通りから階段を登って森へ一歩足を踏み入れると、太陽の光が遮られ、ひんやりとした空気に包まれます。通りを歩いていた時に聞こえていた子どもたちの声もいつの間にか聞こえなくなり、辺りはシーンと静まり返りました。

 更に奥へ進んで行くと、突然辺りが拓け、小堂が見えてきました。「中段の板碑」はこの中にあります。

 この板碑は、「阿弥陀三尊種子板碑(あみださんぞんしゅじいたび)」と呼ばれるもので、高さ129cm、下幅35cm、厚さ3cmの大きさです。碑面の中央に阿弥陀三尊の種子〔しゅじ:仏像の姿を現す代りに使われる、古代インド文字のサンスクリット語を組み合わせた象徴文字〕が彫られており、下方には正応五年(1292)の紀年も見ることができます。素材は、埼玉県秩父荒川上流に産地をもつ緑泥片岩(りょくでいへんがん)です。彫刻技法や素材の特徴から、鎌倉時代後期にこの地に運ばれたと考えられています。
 なぜ、この地に関東地方で盛んに建てられた武蔵型板碑が存在するのでしょうか。
 歴史を紐解いていくと、この地一帯は大屋庄〔おやのしょう:現在の輪島市河原田(かわらだ)川流域から穴水町、能登町の一部〕に属しており、当時この地を支配していたのは、地頭長谷部氏です。文治二年(1186)に鎌倉御家人の長谷部信連(はせべのぶつら)が、源 頼朝から鳳至郡大屋庄の地頭職〔じとうしき:土地の管理や租税の徴収を行う職種〕に任ぜられています。このような史実から、長距離の運搬や恒久的な土地占有が可能だった長谷部氏が、この板碑に関わっているのではないかと考えられます。
 これらの事を考えながら、この板碑を見ていると、鎌倉時代の頃には既にこの地と関東との間に繋がりがあった事に驚かされます。今我々が目にしている山や川、海はその頃どう見えていたのでしょうか。人々の暮らしはどうだったのでしょうか。今、自分が見ているこの板碑を、数百年前には我々のご先祖様が目にしていたのだなとか。そんな事を考えていると、いつしか時計の歩みが止まり過去にタイムスリップしたような気持ちになりました。
 静かな森にひっそりと佇む板碑を前にして、過去からの大切な遺産を保護し、次の世代にしっかりと引き継いでいく事の大切さも学びました。(T.S.)

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